サックスというとジャズで使われる楽器ということになってはいますが、今の時代、ジャズに限定されるほど音楽は幅の狭いものではありません。
この楽器はこのジャンルの音楽でしか使わない、などという古臭い枠にとらわれていれば、いつまでたっても、古臭いおじさんおばさん扱いになってしまいますよ。
そのサックスと源流となっているジャズの扱いについてここで見てみます。
現代ジャズの扱い
ここ最近になってジャズの扱いはずいぶん変わっています。
クラシックと同じように、学校でも教えられるような立場となったジャズは、クラシック音楽家の作曲家が目標とするものに近い存在であり、その割には一部のマニア受けしかしない、という矛盾した側面があります。
一般大衆におけるウケがいい一方で、ジャズを突き詰めるほど熱中してる人はそれほどいないという二面性があります。
分類できない音楽
世の中の音楽の流れは急激に変わっています。その特徴の最たるものとして、「分類しない」ことが挙げられています。
クラシックから始まり、ジャズやポピュラー・フォーク・ポップスなど昔の歌手や音楽家は何かにつけて音楽を分類しがちです。
世代が若くなればなるほど、そのような分類にはとらわれない傾向が出てきます。音楽を分類するくせが身についてしまうと、音楽に対して偏見を持つようになり。新しい音楽を作り出すことができなくなります。
音楽の世界だけではなく、分類やカテゴリー化を止める傾向は文学の世界でも現れています。
音楽を分離することは、音楽を聴く態度が狭くなるということを意味します。クラシックばかりを聞いていれば、その他の音楽は音楽ではない、と切り捨てることになってしまい貴重な音楽体験が少なくなります。
マスコミからネットへ
マスメディアが発達することで、音楽の流行は世界レベルまで浸透しています。それがインターネットによりさらに垣根がなくなり、音楽の世界が一体化しました。そして世界が小さくなっていることが挙げられます。どの国の音楽でも手軽に聞くことができるのが今の時代です。
昔ながらのジャズミュージシャンになると、ジャズばっかりに夢中になり、他の音楽を聴こうとしない傾向がありました。この点に関しては、自分たちの音楽が一番であるとの高慢さによって、他の音楽に触れジャズの立場が崩れ去るという危険性を無意識的に理解し、守りの姿勢をとっている、といえるのかもしれませんが。
若い音楽家になると、このような壁はなくなる傾向があり、新しい音楽の味方に触れることによって、さらに自分の世界を広げる、といった寛容な傾向が出てきます。
いつまでも狭いからの中に閉じこもっていては新しい音楽を創れません。狭い音楽館は時代遅れということです。年齢の高い音楽家になればなるほど音楽のカテゴリや分類を強調する傾向がありますが、もうすでにそんな時代は過ぎ去りました。
演奏家とっては、ジャズ一本だったり演歌一本でやってきたというプライドがあるのかもしれませんが、それを受け取る大衆にとっては音楽に触れることなど日常の一コマでしかありません。
古い価値感にとらわれていれば、あっという間に時代遅れとなり、見向きもされなくなります。新しいと思われていたロックやポップスなども、とっくの昔に一般大衆に受け入れられて、当たり前のように存在しています。
さらに、音楽ソフトの普及によって楽器などなくても音楽が創れ、その音楽によって時代の寵児となることもできる時代になったのです。
こんな時代にクラシックやジャズなどと分類ばかりしていては、新しい音楽に触れる機会などなくなり、古臭い人間と若い人からは天然記念物のように扱われるのがオチです。
サックスはジャズクラシックだけじゃない
サックスは伝統的にジャズで使われる楽器ということになっています。それか、クラシックで使われているくらいの楽器とされていますが、ジャズかクラシックのみ使われる楽器なんでしょ?という狭い考えでは時代の波に取り残されます。
世界中の音楽に簡単に触れられる時代になった以上、ジャズ・クラシックなどと分類を無視して、好きな音楽をサックスを使って演奏してみてはいかがでしょうか。
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