「吹奏楽に所属しているんだけどアルトがやりたいと思っていた。にもかかわらず、バリトンやテナーにされてしまった」
「本当に嫌だ。学校に行きたくない。なんでこんなものやらなければいけないの」
「うちの子は体が小さいんだからバリトンなんか押し付けないで」

先生から指示されてしまったのなら仕方がありません。自分がやりたくないと思っていても、結局は誰かやらなければいけないからです。吹奏楽に参加した以上、好きな楽器をやらせてもらえるとは限りません。そんなことを言い始めたら、みんな自分勝手なことをいい始めてしまいます。我慢するしかありません。教育です。

やってみなければわからない

アルトサックスだけしかないと思っていた。バリトンサックスやテナーサックスを押し付けられて、初めはこんなものやりたくないダサすぎると思っていた。仕方がないので、我慢してやってみると新しい魅力に気が付いた。低音域の音の響きがアルトサックスとは違った音色。アルトサックスよりも深い音が出て、こんな楽器もあるんだなと感心できるいい経験をした。

何だって、やってみなければわからないのです。学校は自分の好きなことをやるよりも、やりたくないことをやらされたほうが教育にはいいです。新しい経験ができるのですから。

その経験はお金で買えるものではありません。学生時代にアルトサックスをやって気持ちのいい思いをしたからといって、いったい何の得があるのでしょう。むしろ嫌なことでもやったほうが、知るはずのなかった魅力を感じることができるわけです。

吹奏楽で脇役?

吹奏楽はアルトサックスだけではありません。確かにメインです。しかし、その他の浮気だってちゃんと演奏しているのです。アルトサックスができないから嫌だと言っている人は、他の楽器を小馬鹿にしているのです。よくよく考えたら、ダサいからやりたくないというのもひどい話です。他人にダサいのを押し付けて、自分だけいい思いをしようと思っているのですから。人格的にも問題があります。

アルトサックスは人数が多く、競争率も激しいです。バリトン・テナーサックスは人気もなく、人数も少ないです。だからこそ逆に目立つこともできます。意外とおいしいというわけです。競争率の激しいところで競争する人はっきり言って愚か。競争率の少ないところなら楽に競争に勝てるのですから。

目立ちたい風潮

学校教育では、大人も子供も自分勝手になっています。自分だけが目立ちたい。自分だけがいい思いをしたい。全面的に親も応援する。狂った風潮が当たり前のようになってしまいました。自分の思った通りにならないと、親がクレームをつけてくる。

何と情けないことでしょう。自分が嫌だと思ったことは他人にやらせればいい、と思っているのです。こんな親の子が大人になって、魅力的で信頼できる人材になることはないでしょう。気持ちのいい思いをしたい自己中心的思いしかないのですから。知らない楽器を押し付けられても我慢してやってみましょう。新しい発見があるかもしれません。

独自に練習すればいい

どうしてもアルトサックスがやりたいのなら独自で練習すればいいわけです。その学校の吹奏楽が地球のすべてではないのです。割り切って考えましょう。吹奏楽ではバリトンやテナーサックスを行って、空いた時間でアルトサックスを自分で練習していればいいのです。

本当に才能のある人なら、そのように練習をするでしょう。やりたいと思っていなかっただけを押し付けられたからといって、気に入らないと思うのはやめましょう。やってみなければわかりません。思ってもみなかったものをやらされる経験がどれほど貴重なものなのか。自分がほしいと思っているものに望んだものなど入っていません。本当に大切なものは、自分が望んでもいないもの中に偶然入っていることの方が多いのですから。子供が泣いているからといって、甘やかさず、頑張って応援してみてください。

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